知るほど面白い大分の先哲 大友宗麟⑨ 九州三国志
宗麟のキリスト教信仰を阻むものはいなくなりました。
宗麟は政務も放り出して説教を聞き、祈祷書を読むなどキリスト教に没頭しました。
そして、洗礼を受けてドン・フランシスコの名を与えられます。
この時、すでにザビエルに出会ってから30年近くの月日がたっていました。
しかし、この宗教対立はキリシタン、仏教派と家臣団も真っ二つにしてしまいました。
栄華を誇った大友家の屋台骨もグラグラとゆるみはじめるのです。
この状況はほかの九州の大名にとっては絶好の攻め込むチャンスでした。
肥前の龍造寺が暗躍し、一部の国人も離反していきました。
さらに、南の島津も台頭し九州はまさに三国志状態。
そうこうしているうちに島津が北進をはじめました。
島津に攻め込まれた日向の伊東氏が助けを求めて宗麟のところに駆け込みます。
日向が島津のものになったら、自分たちの領土も危うくなると宗麟は考えて出陣しました。
しかし、宗麟はこの戦いに別の目標をもっていたのです…