それでもキリスト教にますます入れ込む宗麟と、それに反発して離反していく家臣や国人たち。
島津軍は攻めてきたり、領内の国人は次々離反したりでついに国を持ちこたえられなくなった宗麟は中央で天下を取る勢いの豊臣秀吉に泣きつきます。
島津軍は大友氏の本拠地である臼杵城まで攻め寄せましたが、宗麟らが「国崩し」という大砲で何とか防いでいる間に豊臣軍が大挙して押し寄せます。
こうして宗麟は窮地から抜け出し、島津家を撃退するところで病気により神の国に召されました。
なお、大友氏はこの後豊臣秀吉から豊後一国を安堵されました。